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zoom RSS 二匹のライオンの譬え―仏教の五陰世間―

<<   作成日時 : 2016/12/11 13:33   >>

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1 兄弟ライオンの誕生
 ライオンは獲物をとるのに有利なため群れで生活する。雄ライオンは一匹で、複数の雌ライオンとその子ども達でライオンの群れが形成される・・・
 ある時、アフリカの草原で二匹の雄ライオンが生まれた。母ライオンは狩りが上手で、仲間に公平だったので、このライオンの群れの中で実質的にリーダー的存在だった。兄弟ライオンは母ライオンから狩り、日陰や水場の見つけ方など生きていくための術をしっかり学んで、たくましく成長した。

2 兄弟の自立
 3歳になった時、兄弟ライオンは群れを出て自立した。母との別れはライオンの群れの掟だった。兄弟ライオンは健康的な雄ライオンで、ほぼ同じ体格であったが、弟ライオンの方は少し背が高かった。このため遠くを見渡すのに弟ライオンが優れていた。はじめ兄弟は二匹で行動していたが、やがて別行動となった。母ライオンから教えられたように生きれば、単独でも獲物をとるのに困らなかった。

3 兄弟の再会
 ある時、草原の中で二匹のライオンは再会した。すぐに互いに兄弟であると分かった。兄弟は共に、ライオンの群れの雄リーダーに戦いを挑めるまでに強い青年ライオンに成長していた。
 太陽はようやく沈みかけていたが、この年は日照りが続き草原には緑が少なく、赤茶けた大地には砂まじりの熱風が流れていた。その分狩りはきつくなった。
 弟ライオンは背を伸ばすと少し遠くにまばらなシマウマの群れが見えた。弟は声で合図をしたが、兄ライオンはそれを認められず、「無理」と思った。しかし、兄ライオンは視界が狭い分、努力して鼻で獲物をかぎつけられるようになっていた。そのため反対方向に、はるか遠くの風上にいるシマウマの臭いを感じた。弟ライオンは兄に従い目指す方向に進み、ようやく兄弟は苦労して獲物をみつけ、協力して一匹のシマウマをしとめた。兄ライオンにとって生きることは試練の連続と映ったが、弟ライオンには普通にやれば生きていけるものだった。

4 その後の兄ライオン
 その後、兄弟ライオンはどちらからともなく別々の道を行き、二度と会うことはなかった。兄ライオンは「弟に迷惑をかけたくない」と思い、弟ライオンも「兄の面倒をみるのは嫌だ」と考えたのだった。
 やがて、兄ライオンは、あるライオンの群れの雄ライオンとの戦いに勝ち、群れのリーダーとなった。群れの掟に従い前リーダーの子どもをすべて殺し、優秀な自分の子孫を残した。狩りは主に雌ライオンがやるので、それから兄ライオンはのんびりと群れの中で暮らした。時々よそから来る若い雄ライオンの挑戦をうけたが、仲間の協力もあってそのつど力で跳ね返すことができた。

5 兄ライオンの最後 
 そして、最晩年に自ら群れを離れた兄ライオンはひとり思うのだった。弟はどうしているか。あれから会うことはなかったが、弟は目が良かったので狩りは得意。きっと大きな群れのリーダーになったはずだ。おれは弟のような能力はなかったので苦労したが、その分だれよりも努力をした。だから、最後はのんびりと暮らせて子孫も残せた、悪くはない。群れの仲間に優しく接することもできた。これこそ自ら願った生き方、全て意味のあることだったのだ。
 いよいよ、もう一歩も進めなくて大地に倒れ込んだ時に、彼はおぼろげに母を思った。すると母と兄弟で暮らした3年間が光り輝くように浮かびあがった。そして、彼に生きる術を教えてくれた亡き母に心から感謝するのだった。


【五陰世間】
 仏教の「一念三千」法理の中の三世間のひとつ。三世間とは自分の外の環境で、五陰(ごおん)世間、衆生世間、国土世間。つまり自分と他人・環境との相互依存関係を説明する概念。
 五陰世間の「陰」とは「集まり」の意味、5つの要素が集まって人間の個性が形成される。外界を「認識する自我」と表現ができる。具体的には、
@色・・・身体
A受・・・感覚(目耳鼻舌身意/六根)
B想・・・想念
C行・・・(想念の結果としての)意思、欲求
D識・・・自己認識(色受想行を統合した認識する自我/唯識論での第6識・意識)
 人の個性は様々、同じことを見て聴いても人によって感じ方は異なる。十人十色である。
 仏教では境涯論(小我・大我)としての「十界互具」(百界)、相互依存関係の「三世間」から生命の個別性を説明している。それが各人・桜梅桃李の「千如是」(個性)となる。泣き笑いにもその人らしさがある。その全体が一念三千であり、諸法実相となる。つまり、「ありのまま」(諸法)の姿の私が、「そのまま」(実相)の自分となる。自分の本質そのものとなる。そして、その自分とは相互依存関係の中で生かされている。
 個性は変わりにくいものであるが、全く変わらないものでもない。「人が変わった」との表現もある。人は他人の励ましで変わる。そして日蓮仏法はなにより、宿命転換、人間革命を教えている。そこから自分の一生のうちに「宿命を使命に変える」積極的な生き方となる。何があっても「負けない心」とは結局、「生も歓喜、死も歓喜」につながる。
 なお、ここで五陰世間の説明に「二匹のライオンの譬え」を使ったのは、障がい、病気について無用な誤解を避けるためです。また、文中の「兄ライオンにとって生きることは試練の連続と映ったが、弟ライオンには普通にやれば生きていけるものだった」は、兄弟ライオンの「識」の違いを指す。

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