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zoom RSS 日本の歴史(古代から現代)―民衆史観の視点―

<<   作成日時 : 2017/05/06 15:08   >>

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はじめに
 歴史は民衆がつくる。民主主義社会に生きる私たちは有権者の一人として、いま選挙があるとしたらその投票行動によって政権選択もできる。一個人の人生は、善悪いずれにしろ今ここでの意思で変わる。個人の意思の総和が社会を動かし歴史をつくる。これが民衆史観である。
 ところが日本史をみると現代はともかく、国家が成立した古代から近代まで一貫してその時代の支配者の権力闘争を記録している。これを英雄史観という。しかし、例えば暴君がいたとして、一人の英雄の気まぐれな命令で歴史は変わるものだろうか。歴史は時間をさかのぼるほど原因結果が複雑となって、より必然性が高くなる。そこに確定的な時代精神Zeitgeistを見ることができる。
 哲学者のカントが生まれ、ワイマール憲法という当時としては最も民主的な憲法をもったドイツがなぜヒトラーのような狂気の指導者を産んだのか。経済不況やユダヤ人への怨念などいつくかの説明はできる。それだけで何千万ものドイツ人が同じ方向性で、熱狂または沈黙した理由の説明にはならない。「民族主義」の嵐が吹き荒れたとの解釈の方が、より分かりやすいのではないだろうか。
(視点)
@民衆史観の視点から各時代の国民を、公民→領民→士農工商→個人→人間と民衆勢力の拡大の流れと把握しています。
A具体的には各時代の、天皇と国民の関係の変遷をたどっています。
B日本=神国とする「神国思想」が、各時代でどのように変化しているか検証しています。
C各時代の思潮、時代精神を歴史年表の「主なできごと」として、できる限り列挙しています。
D最後に時代精神とは何かを説明しています。
 
 神を創造神、一神教の神とすれば超越的、絶対的存在となります。この神の定義からすると、天皇は一度も専制君主であったことはなく、常に「権威」として政治的に利用されてきた史実が認められます。天皇=現人神の「神国思想」は江戸後期の国粋主義の台頭に見られるだけです。

1 国民と天皇の変遷
 現代の民主主義社会では、主権者は国(王)から囻(民)へと変化した。これが歴史の流れである。

(日本国の表記)
 日本国を現わす漢字には国King、國Land、囻Peopleの3つがある。

(権力と権威の分離)
 国家が成立した日本古代から現代までを概括すると、次第に権力から権威が分離していくのが認められる。現代の民主主義社会では、主権者は国(王)から囻(民)へと変化。天皇が絶対的君主であったのは古代のみで、その後の歴史は時の支配層の利害関係を調整する手段として、天皇の「権威」が利用されてきたと認められる。現代では身分制社会が崩壊しているので、皇室に特別な意義を見出すことはかなり困難で、日本の伝統と評価すればよい。

(共和制と立憲君主制)
 世界各国の政体は大きく共和制(大統領制)とヨーロッパ型立憲君主制に分けられる。民主主義社会では国民の代表は普通選挙により選ばれる。共和制と立憲君主制のどちらか優れているかは議論が分かれるが、立憲君主制では「権力と権威」の分離が特徴となっているのは明らか。この視点からは、立憲君主制が政体としては安定しているとの評価ができる。
 なお、仮にもし将来、天皇制が廃止されるとしたら、それは政治的理由ではなく、「皇族には自由がなく、その仕事に魅力がないために、皇室自体の存続が危うくなるため」との指摘がある。

(象徴天皇制)
 日本国憲法で天皇は「日本国民統合の象徴」と位置づけられている。対外的代表であるが、国事行為のみを行う存在。その地位は主権者である国民の総意に基づく。その権威は「万世一系」「天照大神の神孫」といった民族神話に基づくものではない。
 天皇は国家元首であるが憲法上では明記されていない。日本国の最高権力者は首相である。「象徴天皇制」とは立憲君主制の中でもゆるやかな権威と認められる。なお、スウェーデン国王は首相任命権などの形式的な国事行為さえ認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。

(万世一系の天皇観)
 明治憲法は天皇について、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とした。「万世一系」とは法律用語になじまない詩的表現で、史実とも異なる。日本の天皇は従来から「絶対的存在」(現人神)であったことはなく、殺害、廃位、幼帝擁立、流罪があり、皇統分裂(鎌倉後期)や南北朝時代に皇室も分立した。古代の絶対君主制においても、護国のために仏-神-天皇の序列の構図が認められる。
 現代の視点からは家柄、生まれの上下を議論するまでもない。従来から天皇は時の支配層の利害調整の手段のために「権威」として利用されてきたのが客観的事実。「神国思想」の概念は江戸後期から明治期の偏狭な国粋主義によってつくられたもの。なお、象徴天皇制は戦後の社会的混乱を避ける意図から生まれた経緯がある。

(昭和天皇の戦争責任)
 天皇は太平洋戦争開戦を含めて政治的に利用されてきたが、終戦については昭和天皇が主導的役割を果たしたと評価されている。

(終戦直後の昭和天皇発言)
@昭和天皇がマッカーサーを訪問した時の発言
「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした」
A昭和天皇が幣原首相(当時)からGHQ憲法草案の説明を受けた時の発言メモ
「これでいいじゃないか」

(国民の支持)
 現在の皇室は戦没者追悼、被災地訪問、外国元首との交流について、国民の大多数の支持を得ている。今ようやく天皇制について「退位」についても冷静に議論ができる状況となったと言える。

2 神国思想の本質
 日本が神国であった時期は実態としては一度もない。天皇は「権威」として政治的に利用されてきた。

(神の変容)
 古代において護国の神が君主である天皇を守護するとの仏-神-天皇の序列の構図ができたと認められる。
 太古には日本の神とは対等な神々を意味していた。地主神、民族神(天照大神・伊勢神宮)が優劣なく併存していた。いわば自然神であるが、これは日本独自のものでなく、世界各国に共通してあるもの。
 神とは、祟りをもたらす、気まぐれ、いつどこにいるか分からない、目に見えないものとされていた。このため、その性格は祟りの神といえる。人間の善悪の行為によって賞罰を与える神とは仏教の影響による。つまり、仏教により祟りの神から賞罰の神へと神の概念が変容している。神は仏の垂迹・権現と位置づけされ、諸天善神とも一括される。このため神は護国のため寺社に常住するとともに、仏像・仏絵と同じく天照大神、八幡神などの神も、神像として描かれて可視化されることになった。

(神道)
 王となるのは人間には理解できない神、天の働きによるとする点で、神道は儒教と同じく、現世主義的なもの。このため、神道、儒教は理論を仏教に求めないと教義・道徳としては未熟なものとなる。
 日本ではふつう葬儀は仏教で行う。葬儀・追善回向(死者を悼む心)とは自己意識がある人間だけの行為。自分の祖先、出自を敬う気持ちは人間の自然な感情である。何らかの永遠性、連続性を前提としているのが宗教の本質。キリスト教・イスラム教は「最後の審判」、仏教には「輪廻」の概念がある。ここから人間としての善悪の行動規範が生まれる。
 祖先崇拝とは祖先に感謝するだけの一方的なものではない。自分が善人として生きることで祖先を顕彰、回向するとの意味がないと倫理的に完結しない。それが報恩感謝である。仏教では出家して覚者となると、その功徳は「上七代、下七代まで」及ぶとの象徴的な教えがある。敢えて言えば葬儀の形式からは、日本は仏教の国であって、神国ではない。
 仮に神道、神社に意義を見出すとしたら、そこが「聖域」とされて鎮守の森が 残ったことくらい。

(靖国神社)
 国家神道の代表的施設。一般的な戦没者追悼の場所ではない。明治以降の日本の戦争・内戦において、公務で国に殉じた軍人らを「英霊」として祭る神社(宗教法人)。菊花紋を使用しているが、戦後に天皇は訪問していない。合祀は遺族の合意なしに一方的に行われているものの、判例では遺族の法的利益が損なわれたとは認められていない。合祀(名簿登載)自体に意味がないので、無視するしかない現状。また、地域によっては忠魂社・碑がある。
 なお、千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第二次世界大戦の折に国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手がない遺骨を安置する施設。政府が設置、宗教的には中立で、皇族、首相も参拝している。また、終戦記念日には政府主催全国戦没者追悼式(日本武道館)が行われているが現在、日本に常設の「国立戦没者追悼施設」はない。

(神国思想の背景)
 戦前・戦中の日本では、日本=神国論は天皇制国家を支える基本的な理念であった。この神国思想は日本の民族主義・国家主義の興隆によって、対外侵略と他民族支配を正当化するものとなった。
 しかし、日本の歴史を振り返ると、神国思想は時代によって意味合いが異なり、国粋主義的意味での「神国思想」の概念は江戸後期以降につくられたものと認められる。それは各時代の天皇の権力・権威の構造を検証してみると明らかとなる。(歴史年表を参照)
 古代の絶対君主制(専制政治ではない)では天皇は国家そのものであったが、それ以降は天皇が「権威」として時の支配層の利害調整のために手段として利用されてきたのが史実として認められる。

@古代・・・天皇=国家であるので「護国の神」の概念はあったが、仏教の影響で仏-神-天皇の序列。律令制度や仏教の普遍主義から専制政治とはならなかった。

A中世・近世・・・公家武家の二重支配構造で天皇は「権威」として利用された。天皇家は有力な荘園領主のひとつ。なお、鎌倉時代の蒙古襲来と台風による軍船壊滅は、日本の「神国思想」を高揚したとされる。近世後期には民衆勢力が台頭(武家の困窮化)、文化・学問が世俗化・一般化した。檀徒制度により布教を忘れた仏教界は腐敗堕落。開国の外圧もあり日本固有の文化が求められ、その中で儒者・神道家・国学者の世俗的・民族的な「神国思想」(日本だけの個別主義)が後の国粋主義台頭につながったとものと認められる。

B近代・・・明治憲法で「天皇の統治」と定めた立憲君主制であるが、実質は維新功労の薩長体制の中で、自らの権力基盤を維持する目的で天皇の「権威」を利用したと認められる。神仏分離令は明治政府最大の愚策とされる。近代的な軍隊制度とするため武士を廃止して、徴兵制による国民軍を創設。世界恐慌で日本も失業者が増大、社会不安。欧米列強のアジア侵略とブロック経済化に対抗して日本も中国に進出。治安維持法が制定され、国家神道が強制された。時の首相が暗殺され軍部政権となって、泥沼の日中戦争・太平洋戦争へ。
 ここに国粋主義的「神国思想」(民族主義)の台頭、世界恐慌による失業・社会不安、軍部政権の暴走とすべての戦争要因がある。なお、「武士道」が庶民の基本精神になったことは一度もない。

C現代・・・国民主権、基本的人権の尊重、平和主義(戦争放棄)、象徴天皇制、表現の自由、信教の自由を基本原理とする。

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3 宗教改革の歩み
 宗教改革とは、絶対的な神仏を否定して、我が内に聖性、尊厳を認める宗教の内面化にある。それは聖職者の権威の否定でもある。

(宗教の内面化)
 西欧では聖職者の世俗化と教会の腐敗をきっかけとして、16世紀に宗教改革の波にさらされた。プロテスタント運動によりキリスト教会は大きく2つに分裂した。ここに民衆レベルでの宗教の内面化(我が内なる神)が行われたのが見てとれる。
 日本で同じような宗教の内面化(我が内なる仏)は鎌倉新仏教に見られる。典型例が13世紀の「熱原の法難」。これは幕府の最高実力者が農民20名と対決、弾圧した事件である。

(熱原の法難)―宗教の内面化―
 鎌倉時代に日蓮の弟子の布教により富士・熱原郷(富士市厚原)の天台宗寺院で多くの農民信徒が日蓮門下に改宗した。これを恐れた住職代理が武装兵士を伴い1279年9月、刈田狼藉(かりたろうぜき)の名目で農民信徒20名を襲撃・逮捕して、鎌倉へ護送した。取り調べは北条執権の最高実力者・平頼綱が私邸で直接行ったが、極めて異例。その内容は、刈田狼藉の不法行為があったかどうかでなくて、念仏を唱えて信仰をひるがえせば釈放するというもの。鏑矢(かぶらや)で射て農民信徒を脅かす行為もしている。
 農民信徒は動じないので、神四郎、弥五郎、弥六郎を首謀者として斬罪、その他17名は従犯者として追放処分となった。宗教の内面化とは我が生命の内に聖性を認めること。覚醒した民衆側からすれば、どんな権力者であれ理不尽であれば恐れるに足らないと映る。これは権力者側による弾圧の構図となる。
 日蓮はこの熱原の法難で農民信徒が最後まで信念を貫いた姿に、民衆仏教の到来を確信して自らの本懐を遂げ、その3年後に弟子に一切を託し61歳の生涯を終えた。なお、平頼綱は日蓮が亡くなった12年後に、その権勢を恐れた主君・北条氏によって本人は自害、屋敷を焼き払われ一族滅亡。

(仏教の世界宗教化)―聖職者の否定―
 1991年、宗門(富士・大石寺)は創価学会員一千万人を破門した。もともと宗門と創価学会は別々な宗教法人、除名など理論上ありえない。破門とは民主主義社会の現代に、いかにも世間知らずの僧侶の発想。僧侶が上で信徒は下の論理が通用するはずもない。
 日蓮仏法の基本は、「南無妙法蓮華経」の題目と「御本尊」。その日蓮仏法を実践する創価学会にとってこの破門事件は迫害・法難のひとつ。このため自らの信仰を内面化、客観化させる結果となった。逆に僧・聖職者の否定は、日本における20世紀の宗教改革と評価できる。
 さらに、狭い僧侶の基準ではなく世界各地の民衆の基準で活動できるため、海外での布教もこれ以降、192か国・地域へと飛躍的に拡大した。まさに歴史の転換点とも評価される民衆運営の民衆仏教が実現したことを意味する。仏教はインド、中国では消滅したが、日本では定着した。創価学会の「平和、文化、教育運動」の展開によって、日蓮仏法は世界宗教になったと認められる。

4 精神の空白と時代精神
 社会構造の変化に取り残された社会階層があって、そこに役割喪失、閉塞感があると「精神の空白」が生ずる。人間は「精神の空白」を耐えられない。日本の近代に「国粋的な民族主義」が生まれ、経済要因と外圧要因が重なって不満がここに集約され、国民が同じ方向性で熱狂または沈黙した。このため戦前の日本で民族主義が時代精神となって、泥沼の日中戦争・太平洋戦争につながったと認められる。

(社会構造の変化、歴史の転換点)
 いま日本の65歳の一人のシニアがいるとして、その人生の中でいくつか社会構造の変化、歴史の転換点を目の当たりにしているはず。そこには方向が逆であるが、民主化(権威崩壊)、閉塞感の2つが認められる。
@共産主義国の崩壊(東ドイツ、ソ連)←民主化
A大学紛争(学問の権威失墜)←権威崩壊
Bインターネットの普及(利便性と対話喪失)←閉塞感
C日本の宗教改革(聖職者否定)←民主化
D家族葬の普及(葬儀・終活の客観化)←民主化
E民主党政権の誕生と崩壊(劇場型政治)←閉塞感
F科学絶対主義の崩壊(原爆投下、公害、原発事故)←権威崩壊
G右派大衆迎合主義の台頭(劇場型政治、アメリカ一国主義)←閉塞感
HEUからイギリスが離脱(多民族主義のゆらぎ)←閉塞感
 なお、少子高齢化・人口減少社会はシニアにとって脅威ではない。それは経済的安定もあるが、「経験と知恵」が理由。

(精神の空白)
 17世紀を起点とする西欧の近代合理主義は絶対的な一神教の神ヤーヴェを否定した。「文明」を視点とした著名な歴史家トインビーは、神の否定の後に、西欧人の「精神の空白」を埋めたのが、科学絶対主義と民族主義だったと指摘している。人間は精神の空白を耐えられない。

(時代精神)
 よく「戦争の20世紀から平和の21世紀へ」の標語、主張がされる。善悪は別にして新たな時流、思潮、時代精神がなぜ生まれるのか。民衆の「精神の空白」を埋めるためが、その理由。ある特定の社会階層の中で役割喪失、閉塞感、疎外感、格差意識があると、その不満が特定のイデオロギーに集約されて、社会が同じ方向のシングルイシューとなりやすい。これに経済要因などが重なって集団心理が時代精神となると、歴史を動かすことになる。
 社会階層は身分制社会に特徴的にみられるが、現代の日本でも例えば「年金生活者と子育て世代」「正規雇用と非正規雇用」に認められる。また、劇場型政治、商業ジャーナリズムによって、世論が意図的に一定の方向に誘導されることもある。
 また、2017年5月のG7財務相・中央銀行総裁会議では、保護主義や極右勢力が各国で台頭する底流には所得格差の拡大があるとの認識を共有。内向き志向の閉塞感を打開できるかが課題となった。

(社会の断絶)
 2016年のアメリカ大統領選挙でトランプの絶対得票率(投票率×得票率)は25%で、トランプ支持者は4人に1人。選挙結果は事前の世論調査と異なった。世論を二分した僅差の勝利は社会の断絶をもたらした。
(評価)
@投票率が低かったので、有権者が支持を変えた、棄権したのが選挙結果に影響した
Aシングルイシューの劇場型政治が行われ、有権者の投票行動に影響を与えた
B世界的に各国の投票率は低下傾向にあるが、選挙制度によっては絶対得票率が低くても「一人勝ち」になる場合がある
C民主主義社会は選挙技術にたけた、大衆に迎合する「政治屋」を生みやすい

(1960〜70年代の時代精神)−若者の反抗−
 60〜70年代は世界的な熱病のように若者が既存の価値観、体制に反抗した時代と言える。ナンセンスという言葉が流行、退廃的なヒッピー、ドラッグなどのアウトローがもてはやされ、ぼさぼさの長髪とサイケデリックな服装が流行った。そしてビートルズの音楽が世界を席巻した。
 1975年、泥沼のベトナム戦争はアメリカの敗戦で終結したが、アメリカ社会は倫理的、道徳的に大きく疲弊した時代でもある。そして日本は60年安保闘争と70年大学紛争で機動隊の導入、学問の権威と大学の自治は失墜した。この時代は社会的な閉塞感が充満した時代だった。
 しかし、やがて波が引くようにすべては元の場所に戻った。そして、個人主義は矮小と分断の利己主義に堕した。

(役割喪失)
 身近な例でも、子育てを終えた夫婦、定年退職、配偶者の死などの役割喪失がある。それでも生きていくために、新たな生きがいが必要となる。しかし自分を客観視する視点がないと自己喪失になりやすい。
 漢字の「人」は支え合って成り立っている。人は助け合って生きているのが現実。庶民は物のありがたさと人情の温かみが分かる。これは貧者だけの論理ではない、普遍的なものである。人は関係性の中で生きている。この助け合い、共存は人間の本源的な意識に根ざしている。

(人間の本源的な意識)
 人間の潜在意識の中には、家族愛、帰属意識、共生、支えあい、相互依存、梵我一如(宇宙と我は同じ)、道徳律、良心、生命尊厳、永遠性といった意識・欲求が認められる。それは、人がまさに感じ、時に思い知らされ、哲学が説明し、文学、音楽、絵画などの芸術が表現するところのものである。
 論理的に説明されても、人によっては「そうかな」と心で納得しないことが起きるのは、このためでもある。

(究極の実在)
 認識法には分析法・演繹法、理性・直観がある。究極の実在は本来、自他未区分である。これを分析法で自他に区分しても、部分の寄せ集めが全体とはならない。それは関係性の視点からは、相互依存関係と表現ができる。人間は関係性の中で自己を実現し、自らを客観視している。究極の実在は「もの」でなく「こと」。それは法として存在する。それを人間にあてはめれば、法とは人の振る舞い、言葉と行動に現われる。歴史の主体者は人、民衆である。

(日本の歴史)
(1)古代〜近世(身分制)
 国家が成立した古代から近世まで、国民の地位をみると公民→領民→士農工商と変遷した。身分制社会で国民はそれぞれの役割を果たすことがすべてだった。社会構造をみると、古代の公地公民制は公田の私有地化(小作化)により破たんする。中世の荘園領主制では領主(豪族、寺社)間の土地争奪から戦国時代をへて、近世の統一国家が形成される。その幕藩体制で士農工商の身分が固定したが、近世後期には武士の困窮化、民衆勢力が台頭した。この過程では、余剰生産物、富の所有者は主に、貴族→領主→武士→商人と変化した。
身分制社会では国民の役割、地位は明確なので、役割喪失、閉塞感はあまり見られない。

(2)近代〜現代(個人主義、人間主義)
 近代は、身分制の崩壊、近代合理主義を特徴とする。ここで生まれたのが、個人の概念である。教育を受ければ、自分のやりたい仕事につける。誰かに依存しない自由が得られる。これが個人主義の具体的な姿となる。なお、明治政府は軍隊制度の近代化のため徴兵制による国民軍を創設したが、これは武士の廃止を意味する。
 西洋型の個人主義Individualismは、個人の確立を前提としているが、そのためには自己を客観視することが求められる。他者との対話・交流によってそれができないと、利己主義に陥りやすい。
 近世後期以降に民衆勢力の台頭によって起こった社会構造の大きな変化とは、
@民衆勢力の台頭による武士の凋落(武士の困窮化)
A金融業(高利貸、質貸)の横行による農家の小作化(農地の集積)
B産業革命による手工業の淘汰(工場制工業)
 この社会構造の変化の中に、特定の社会階層の役割喪失、閉塞感が生じている。その「精神の空白」が日本の「国粋的な民族主義」に集約されて、戦争へと暴走したと認められる。内政・経済が行き詰った時に、国民の目を外圧に向ける政治手法はいつの時代も変わらない。
 江戸時代の庶民の教育水準はかなり高かったと評価されているが、それでもなお、西洋型の個人主義には、この民族主義の暴走をとめるだけの力はなかったことになる。
 個人と個人を結ぶ、共通の基盤は「人間」の概念である。国家主義Nationalismに対抗するのは目覚めた民衆による人間主義Humanismしかない。それは人間の本源的な意識・欲求に合致するが、人間尊重の理念は教育、学習によって初めて獲得されるもの。

(日本国憲法の普遍性)
 日本の歴史に一貫して見られるのは民衆勢力の台頭と拡大である。日本の民主主義は、戦後にアメリカから与えられたと主張されることがあるが、これは誤解である。
 終戦の日に国民の多くが感じたのは、「軍人の横暴はごめんだ」「これで自由、安心だ」「戦争はもういやだ」との感情であったに違いない。ここには日本国憲法の三原則「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」と同質なものがある。庶民にとっては天皇制がどうあろうと、それが当面の空腹を満たしてくれないのは明らか。日本国憲法草案は国際社会における普遍的な価値を盛り込んだもので、いわば当然の内容。このため「押し付けられた憲法」の見方はあたらない。もし仮に、戦前の経済が好調で、大正デモクラシーが順調に発展したら、日本人が自ら憲法改正によって、新たに盛り込まれたはずのものだったはず。民衆勢力の台頭と拡大を歴史の流れと把握する民衆史観の視点からは、そうなる。

(グローバリゼーションと国家の限界)
 ヒト、カネ、モノ、情報が自由に国境を移動するのが現代社会。そこには、多国籍企業、多民族国家が生まれ、インターネットによって情報は瞬時に世界に伝わる。共生・共存、多様性、環境保護、人権、自由貿易、世界平和が時代精神と言える。
 そこで支障となるのが国家主権。現在、世界には200余りの国家が存在し、それぞれ主権を主張している。国家は絶対的な権力を持つので、ふつうに認められる近隣の友好・共生関係とは異質の原理が働いている。殺人は犯罪であるが、国家は死刑により合法的な殺人を行える。近隣関係では争いは話し合いで解決だが、国家は絶対的な権力を持つので、国同士で国益が衝突すると、最終的に武力・戦争以外に解決の方法はない。国家は国際法で自衛権(個別的自衛権、集団的自衛権)が認められている。侵略戦争はダメだが、自衛のための交戦は許される(日本は憲法第9条で集団的自衛権は認められていない)。
 国家は国益を優先するため、環境破壊(経済発展を優先)、保護貿易、移民難民の制限、軍備競争・武器輸出が行われる。さらに狂気の指導者による独裁国家では、核・ミサイル発射実験の挑発的行為が繰り返されもする。
 今、地球全体から見ると日本の中世・戦国時代のように、世界には200余りの地方国家が互いの勢力を競いあい、軍備を持って危険な状態と見なすことができる。ここに国家の限界がある。国民にとって国家は必要と思えるが、民衆・人間の視点(民衆史観の視点)からは、必ずしも絶対的な地方国家である理由はない。国は異なっても民衆同士は友好である。しかし国家はそうではない。国家は他国の領有権に挑戦し、国内では人権活動家を抑圧もする。
 将来的な方向としては、世界政府が樹立され、連邦制国家のように国−州(地方)の関係、世界政府のみが軍隊保有、が望まれる。紆余曲折はあるが、現在進行形の統合モデルの一つがヨーロッパ連合EUである。
 なお現在、連邦制国家としてはアメリカ、カナダ、スイス、ドイツ、イギリス(グレートブリテン・北アイルランド連合)などがある。

(国連)
 いま一つの統合モデルが国連The United Nationsである。日本国憲法前文は「国際協調主義」を掲げている。これは特定の友好国との協調ではなく、国連中心主義を意味する。その国連は世界政府でなく、法律をつくることもない。
 国連は4つの目的を掲げている。
@全世界の平和と安全を守る
A各国間の友好関係を発展させる
B貧困問題を中心とする課題の解決と人権尊重の促進のために努力する
C各国がこれらの目標を達成できるように中心的役割を果たす
 国連は2015年9月、貧困を撲滅して持続可能な世界を実現するための2030年に向けた新目標を採択したが、その理念として「誰も置き去りにはしない」No one will be left behindの誓いが明記された(持続可能な開発のための2030アジェンダ)。
 これは「共生・統合」という人間の本源的な意識・欲求とまさに合致している。

最後に
 カントは『実践理性批判』の結びで「いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律」と語っている。これは宇宙と我に共通の形式・構造としての「究極の実在」を意味している。なお、ここで「内なる道徳律」とは我が内なる神God=神性を指しており、一神教の神ヤーヴェではない。


【参考資料】
トインビー・池田対談『21世紀への対話』
佐藤弘夫『神国日本』

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