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zoom RSS 亡き父の出生地訪問−変わらないこと−

<<   作成日時 : 2017/06/09 08:37   >>

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画像亡き父の出生地付近
奥は観音堂、ここの広場で幼少の頃に父が遊んだはず








1 私の親世代
 夫婦一緒に6月6日、H市S町へマイカーで亡き母の実家を訪問。年賀状のやりとりはしているが、いとこ夫婦と会うのは久しぶり。母の世代のT家は4人兄弟姉妹。すべて亡くなっているが上3人が姉、一番下が弟。実家はその弟が継ぎ、その子供のTAさん(いとこ)が家業の花卉園芸農家を継いだ。3人の姉は結婚・独立で実家を離れたが、4人が亡くなったのは年齢と逆。私はTAさんと幼い日の思い出話、帰りに大きな花束をお土産に頂いた。
 昔は珍しくないようだが、母方のT長女と父方のS次男の結婚式で両家の親族が、その場で次は母方のT次女と父方のS三男との婚約。これが私の亡き父母。つまりこの2組の夫婦は兄弟・姉妹同士の結婚。このため、父方いとこの一人と私は、顔がとてもよく似ている。
 父方S県O町のS家は少し複雑。父の世代で上3人が男だが、長男は早く死亡。この3人以降は異母兄弟、次男と三男(私の亡き父)は東京に出て見習工として就職すると、2人が居住したアパート1室に戸籍が移された。戦後にK県Y市で兄夫婦は小学校用務員で住み込み、弟夫婦(私の亡き父母)は機械製作所旋盤工の社宅に居住。
 私たち夫婦の結婚式で初めて、異母兄弟の四男夫婦、五男夫婦を紹介された。父の姉妹(おば)ついては亡き父母から特に話はなかった。四男、五男も都会に仕事を求め、同じK県Y市に転居。このため亡き父の出生地に実家はない。墓地もそれぞれの親族が近場に取得。

2 祖先の探索
 母方の実家は農家なので、敷地の一角に先祖の墓がある。夫婦でお参りしたが、墓碑銘には私の祖父母、おじ夫婦、未婚だった三女(おば)の5人の名前が刻まれている。帰宅して父方の戸籍を再確認すると、S県O町の地番が記載。場所は田舎だが幸い平成大合併、住居表示変更と無縁。グーグル地図で検索すると目的地を表示、ストリートビューで様子も分かる。戸建なので氏名・表札はないが、狭い敷地に平屋建ての建物と庭が確認できた。
 気になって翌日の7日に一人で列車旅、父の出生地を初めて訪問へ。

3 亡き父の出生地で判明した事実
 S県O町は県西部、人口3万人だが、ピーク時は3万8千人だった。この町の駅で下車したのは数人で、駅前は閑散。駅前からの商店街にも人影はなく、空き店舗。さびれた街との印象。ここが父が生まれ育った場所。駅から10分程の距離にある。
 小さな町なので、町役場、町立図書館もすぐそば。まず向かったのは図書館、ここで住宅地図を閲覧。役所から寄贈の過去の住宅地図があり、比較ができて便利。目的地の地番117−2は一つのみ、当然117からの土地分筆で117−3、4もある。この土地で1980年から現在までの住宅状況は、空家、某氏名(S氏でない)、氏名なし現住と変遷している。周辺を含め父方S氏の住宅は一切ない。
 次に向かったのは出生地北側に地図では緑地となっている場所。残念ながら墓地の類のものは一切なし、観音堂と広場、隣接して町内地区会館。
 出生地には建物現住だが表札はない。高齢者が使う腰掛け付カートが家の前にあるので、女性一人暮らしで、警戒心から表札を外したのかも。隣の家には住宅地図どおりに別な氏名。
 ここから分かる事実は、@かつて30坪程の土地に父母・子ども6〜7人以上がひしめき合って暮らしていたA分筆元には酒店、酒造所があるので、分筆して借家を建て店子に貸したと考えて良いB父方S家はこの地域で「一族郎党」といった家柄でなく、他の方と同じく庶民のひとりだった、ということ。
 父の出生地の敷地内に墓らしいものはなかった。このため、地元の方に聞いてこの近くで大きな墓地のある寺院を1か所訪ねてみた。その入口に無縁諸霊供養塔もあったが、住職にS家の墓地があるか尋ねると、そうした墓はないとのことだった。

4 亡き父母の人生
 S県O町とH市S町は北・南の位置、距離は50km程で鉄道が結ぶ。さらにH市S町の南にはK県Y市、距離は40km程でやはり鉄道が走る。たどり着いた場所には京浜工業地帯が広がる。2組の夫婦はいずれも男児を授かり、日本の高度成長時代を支え、晩年にそれぞれ念願の戸建住宅を所有した。私の亡き父母は、出会うべきように出会い、この時代のどこにでもある典型的な庶民の生活を生きた、と言えなくもない。

5 変わらないこと
 確実なことは居住者が変わっても、土地は変わらないで残るということ。土地はものとして所有され売買されるが、土地自体は何も変わらない。地番は残る。これが「もの」と「こと」の関係で、「こと」が究極の実在となる。それは法として存在する。そして、私の父がここで幼少期を過ごした事実(現実のこと)も変わることはない。
 私は現地で「時の流れの無常さ」を感ずることは一切なかった。時間は自分との関係性の概念で、長さを持たない。長さがあるのは時刻である。このため、いま自分のこの一瞬に過去の因・未来の果をすべて含み、今この瞬間に薄紙を隔てたような前後で過去・未来の時間をすべて含む。原因は前に、結果は後に。それが時間の前後となる。だから、今ここの私は何も変わることはない。
 仏教は三世にわたる生命の永遠(永遠性、連続性)を説いている。そして、認識論として各人の生命に記憶され、蓄積されたすべてを蔵識(ぞうしき)ālaya-vijñānaと説明する。これを善悪の行為の視点からみると、善業悪業の業(カルマ)となる。
 蔵識とは各人の生命のメイン・メモリーと考えると、分かりやすい。ふだんの生活ではあまり意識することはないが、障がい、病気、家族の死などをきっかけに宿命・宿業を感じ、生命の因果論を意識せざるを得ない時がある。人は生老病死を避けられない。
 このため、なにより日蓮仏法では宿命転換・人間革命の原理として、「御本尊」に向かって自行化他にわたる「南無妙法蓮華経」の唱題を教えている。亡き父母は、その日蓮仏法を実践して「教育・文化・平和運動」を展開する創価学会の熱心な会員だった。そして、今回私が亡き父母の出生地を訪問することによって、母方ではその信仰がいとこに、父方では私に受け継がれていると確認できたことが、一番の喜びだった。   

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