介護記録101211-病状説明-

画像12/4 病院お見舞い
 妻(嫁)が午前中、次女(孫)が昼過ぎ、私は用事があり午後7時半過ぎに夫婦で父のお見舞い。妻からは父は寝ていたので用意した連絡帳にメモを残した、娘からはお粥を食べ元気で社会人の娘に新聞記事からの話題を聞いたとの報告。夜に私達が訪問したときはやはり眠たいのか目がうつろ、生気がない状態。先ほど長女宅でもらったみかんを3個おすそ分け。

12/5 病院お見舞い
 午後6時過ぎに家族3人で訪問。父はリンゲル点滴、採尿チューブ以外に酸素投与。父はお腹のあたりを触り、腹が減ったと言う。病棟の看護師が水分補給に来たので聞くと、食事を誤嚥下して危険なための処置と言う。みかんはダメとの看護師のメモ。体力が回復しないのでまだ、お粥は無理だったよう。水分もとろみを加えてあるとのこと。その水分を吸い飲みから一気に飲み干し、父はまだ足らないような表情。

12/6 病院お見舞い
 仕事帰りの午後7時過ぎに訪問。退屈だろうと毎日、新聞を持参することに。父はお腹が空くのか、病院に来てまだ3回しか食事を摂ってないとの訴え。父の理解は安心して食事が摂れるのが病院のよう。しかし病院は治療の場所。
 室内で転倒した時の様子を父に尋ねても、相変わらず分からないよう。転倒はしていない、ダンボールに足をいれてはまったと言う。だれが助けに来たかと聞くと、知り合いの男性でI.Mさん。「足がはまっていた」のは20分くらいとも言う。意識障害とか言いようがない。

12/7 病院から電話
 午前に病院から電話、担当看護師のYさんがH主治医との病状説明の日程調整。土曜日で12/11午後2時を希望と伝える。本日は私は夜遅くまで会議で病院お見舞いはできず。

12/8 病院お見舞い
 午後8時で面会終了だが、15分前になんとか到着できた。 2日分の新聞を渡す。父は酸素チューブが外れたので回復傾向にあるよう。父は「飯が食えない」との訴え。酸素が外れたので、もう少しの我慢となだめる。看護師はステーションにいないので経過を聞きようもない、看護師はほんとに忙しい。遅い時間なので6人部屋の他の患者に気遣い筆談。耳が遠い父は大きな声を出さないと聞こえないし、見当はずれの誤解をしても困る。

12/9 病院お見舞い
 夜に訪問、新聞と頼まれた置き時計を持参。枕元の筆談ノートに父の地域の友人Uさん、Kさんの名前、早く良くなって、皆待っていますのメモ。父は相変わらすお腹を触り、飯が食べたいとの訴え。看護師に確認すると、まだいつからお粥との医師の指示ないと聞く。12/11のH主治医(副院長)の病状説明の後に決まるとか。父は早く退院して、帰りがけにうどんが食べたいと言う。枕元に明日は胸部レントゲンの検査との札。ここの病院で確定診断したアスベスト肺か肺水腫の有無の確認か父に聞いても、分かりようがない。
 リンゲル点滴、採尿チューブと紙おむつは変わらず。今日で入院1週間が経過。総入れ歯をはずしているせいか、表情は弱々しい。

12/10 民生委員より電話
 父の地域担当の民生委員Nさんより電話、前に父が転倒負傷した時、病院同行してくれた方。会合で父が入院したと聞いた、地域の集会施設での忘年会に参加希望だったため訪問したが留守だったと言う。私も気にはなっていたが主治医から明日、病状説明があるのでそれから連絡をと思っていたとお詫び。父もこの地域で長く地域役員をやっていたので、気にかけてくれるよう。

12/10 病院お見舞い
 いつものとおり新聞を届ける。父は相変わらず飯が食べたいとの訴え。本日のレントゲン検査の様子、結果については説明できない。明日は、便潜血検査のよう。点滴栄養補給だが、看護記録では昨日の便の覧にマルがある。枕元のノートには父の地域の友人Kさんのメモ、昨日のKさんのご主人。テーブルには菓子折だが絶食のため実家へ回収。ここの病院は車で10分ほどの位置で見舞客も含めなにかと便利。ついでに先日持参したみかんを入れた紙袋も回収したが、帰宅して確認すると1個減っている、父がKさんに勧めて食べさせたよう。しかし、本人が看護師に隠れて食べた可能性も否定できないが、高い位置にあるのでたぶん無理。
 気になったのは毎日、息子の私は訪問しているが、ありがとう、済まないねの言葉を聞かないこと。普段から、「どうも」が口癖で、父はきちんとした応対は難しい。91歳の父は、今現在に関心のあることに生きているようで、私は遅い時間に駆けつけたが、父はいつ来たのかは意味が分からないよう。
 亡き母はこだわる(厳しい)、父はこだわらない(適当)性格で、夫婦60年間よくもったと思うが、両方の性格を少しずつ受け継いだ私としては、父のいいかげんで、言い訳をする態度は許せない。

12/11 病状説明
 時間に夫婦で訪問、病棟で待機。父は相変わらず飯が食べたいと言う。父に寝室と台所を清掃、ごみを片づけて、冷蔵庫の中の物を全て廃棄と報告。しばらくして、父が「うさぎのタオル」と言う。聞き違いかと思い、ノートとボールぺンを渡して、絵を描かせる。タオルを巻いた形、耳が2つ出た姿。来年の干支はウサギ、だれかからのプレゼントのよう。残念ながら、がらくたは全て処分してしまった。子どものように、父は変なことにこだわる。
 しばらくして看護師長に案内され、別室でH主治医から病状説明。現在点滴で水分と栄養を補給、全般的な数値は改善傾向だが、現在の腕からの点滴では栄養補給に限界。しかし、父は5日にお粥を誤嚥下、肺が一時期に停止、緊急処置をした経緯があり、絶食状態。父の嚥下機能低下が一番の問題。
 安全な方法としては、足の血管に直接太い管を入れて点滴するものだが、それでも充分な栄養補給はできず、在宅では管理困難。もうひとつは経管栄養(鼻からチューブまたはお腹に穴を開けチューブで胃へ直接栄養を流し込み)だが、本人や家族がこの処置を望むかどうかの判断が必要。どちらの方法にせよ、体力が回復しても在宅生活は無理で、病院(転院)か施設入所となる。また、父は身体のあちこちに傷跡、そのための炎症反応があると聞く。転倒事件は何回も起こしているが、足腰のふらつきから身体を本人も気がつかないうちにぶつけているよう。もうすぐ92歳となる父はひとり暮らしも限界のよう。私は定年退職となるので、4月からは何とでもなるとH医師に伝える。
 私は危険を覚悟した上で、父の食事を食べたい意志を尊重したいとの判断、妻も同じ思い。万一、誤嚥性肺炎を起こしても病院に責任を求めることは100%ないと伝える。母もこの病名で死亡なので、私も意味はよく分かる、父はやるべきことはやり、心配なことも思い残すこともないと説明。父の老人保健施設への入院はイヤ、早く自宅に帰りたいとの主張も考えると、食事摂取で体力回復、当面在宅復帰のシナリオしか考えられない。結論として、本日は土曜日だが体制上の問題があるので、月曜日から食事再開のオーダーとなる。
 H主治医からもうひとつの説明と判断を求められる。万一、心肺停止になった場合は延命治療を望むかどうか、最初の応急処置として身体の上から手で行う心臓マッサージは高齢で骨折の危険性があるがどうするかと聞かれる。本人と家族の意思を求められたが、本人もあと長くて2、3年生きれば良いとの意思があり、母(妻)は死亡、子どもは息子の私ひとりだが、私はどちらの処置も希望しない、自然治療でお願いしますと伝える。妻からは父(舅)が楽しみにしている年末年始の一泊旅行、墓参が可能かとの質問。H医師からは経過を見てからの判断との返事。
 難しい医学用語を使わず、丁寧で分かりやすい病状説明に感謝の思い。看護師長が同席し記録をとっていたが、副院長としての権限なのか、特に治療方針同意書にサインを求められることはなかった。
 病室に戻り父に報告。難しいことを言ってもダメなので、月曜日から食事再開となった、ただしゆっくり注意して食べるようにと伝える。父は嬉しそうな顔と、親指人差し指でマルの形。
 今後、私たちは誤嚥下で病院からの呼出を常に覚悟しなくてはならない。たまたま85歳の義母が大腸検査(日帰り検査も可だが大事をとって検査入院)で12/13~15、同じ病院に検査入院、妻が付き添うので、4日間は2人の病院見舞いが一緒にできる。
 帰宅しても私は気がめいる。これ以外に考えようがないとは言え、父の生命を決めるようで、とまどいと重苦しさがある。

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