【1】母の死亡から父の死亡まで-時系列の再考-

【はじめに】
 一人っ子の私は、両親が共働きだったため、結果として何でも自分でやる・やれるようになりました。シニアになった今も、料理、裁縫、片づけが得意、趣味です。体循環・身体機能では血圧正常、血液サラサラ剤や入眠剤とは無縁。よくぞ丈夫に産み・育ててくれたと亡き両親に感謝です。私は86歳で母を、92歳で父を看取りました。これには私の妻の全面的なサポートを得ました。母は燃え尽き症候群と言っても良く、最晩年5年間はアルツハイマー型中等度の診断。一切の家事が不可、父が全面的に家事支援を行う・行わざるを得ない状態となりました。幸いにも両親は私のマンションからは徒歩10分程の近居、戸建て2階の自宅・住宅に父母2人暮らしの生活。両親は終末介護で息子の世話にはなりたくない・させないが家族間の約束事となっていました。介護保険サービスでヘルパー、デイサービス、ショートステイも活用。父が転倒負傷では地域中核病院N病院リハビリ棟【今は発展的解消で存在しない】も利用。このN病院から近隣にある老健施設へ転院がひと騒動。最終的に、母が死亡してから、父は急激に気力・体力が衰え、その3年後に亡くなっています。
 ここでは、当時の状況を今なら冷静・客観的に振り返ることができるとの視点で、母死亡の2009年4月~父死亡の2011年1月の3年間を時系列・降順で考察しています。私たち夫婦は悔いのない看取りができた、やれたと今も思っています。特に父へは息子として、感謝の礼儀・終末介護を果たせたことが大きな喜びでした。

通夜弔辞2012/01/03
通夜(平成24年1月3日午後5時~)
 それでは、導師として一言ご挨拶をさせていただきます。
 ただいまは、私の父の通夜にあたり、故人の遺志により息子の私が導師を努め、創価学会の友人葬の儀式にのっとり、釈尊の説いた法華経方便品、寿量品自我偈を読誦し、ご本仏日蓮大聖人が広めた南無妙法蓮華経の題目を唱え、故人の追善供養を懇ろに行いました。
 ご案内のとおり、法華経は釈尊が説いた経典の中で最も優れたものであり、一切衆生・森羅万象に仏性があると教えています。しかしながら釈迦仏法では釈尊自身が、何によって成仏したのかという根源の法自体は明かにしていません。
 末法に出現したご本仏である日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の題目こそが成仏の根本法であると示されています。このため創価学会では題目を正行、法華経読誦を助行として朝晩、勤行・唱題を行い、自身の人間革命と宿命転換、故人の追善供養、世界平和と一切衆生の幸福を祈念しております。
 また、ご案内のように釈尊自身は自らの葬儀について、僧侶は布教に専念すべきとの趣旨で在家の集団に任せ、自身の葬儀を執り行わせています。父は生前、親戚知人も高齢であることから、ご負担をかけさせたくないとの趣旨で、万一の場合は亡き妻と同じような形式で、息子の私が導師となりごく親しい親戚・友人のみによる、友人葬、家族葬で行って欲しいと申しておりました。
 このため本日の、通夜の葬儀には仏法の本義に立ち返り、僧侶ではなく、また面識のない方の導師ではなく、父の最後を看取った者として、息子の私が導師を努めるのが自然で、最後の親孝行であると考え、このような形式をとりましたことを、ご報告いたします。
 次に生前の父の人となり、暮らしぶりをお話しいたします。
 父は、大正8年にA県B郡C町で生まれ、父は今で言うと小学校を卒業した13歳の時からずっと健康で働いて来ました。当時は食べるため、生きるためにそうするのが当たり前だったと聞いています。元々は旋盤工でしたが、定年後も知人の会社などに再就職して、75歳くらいまで現役で働いていました。働くのが好きだったようです。
 また、父は他人から頼まれると断れないタイプで80歳過ぎまで地域役員、役所ボランティアをやっていて、活発に活動をして、よく外出していました。母が認知症(要介護2)となり家事一切ができなくなってから父は5年間、母を介護しつつ、食事、買物などの一切の家事を行ってきました。
 父と母は60年以上連れ添った夫婦でした。平成21年4月に母が亡くなってから、父は急速に気力体力が衰えたようです。
 父はひとり暮らしになった時に、あと2~3年生きれば良いと私に言ったことがあります。振り返るとその通りの結果となっています。また、父は息子の私に自分の終末介護の世話をさせたくない、嫌だと言っていました。高齢の父は「すり足」が原因、転倒事故で何回か入退院をしています。父が家庭復帰した時に、私が通いで食事の支度などの家事援助したのは前回(9月)の3か月と今回(12月)の3日のみでした。私が父の家事援助をしたのは、父が認知症の母を5年間、献身的に介護したことに対する息子としての当然の礼儀であろうと思ったからでした。
 父の死亡は心肺機能が弱まり、身体の循環系統が回らなくなって全般的衰弱から緩やかに経過する死亡だったようです。入院から死亡まで24時間ほどでした。穏やかで安らかなお顔に接して、父がなぜ息をしていないのか不思議、というのが臨終の際の私の第一印象でした。
 12月30日午前0時31分に父は死亡しましたが、直接死因は敗血症性ショック、死亡原因は誤嚥性肺炎で、細かいことは不詳と死亡診断書には記載されています。
 容体急変から亡くなるまで経過について時間を追ってお話しいたします。
 父は12月28日朝食後に、いつも通りに勤行・唱題を行いました。昼食は普通食のごはんに刻んだウナギをのせたどんぶりで、父の大好物のウナ丼を食べています。刻み食にしたのは父の嚥下機能が低下しているためです。
 午後2時に父が行きたいと言った近所の床屋へ息子の私が車いす介助で向かいました。臨終のお顔がさっぱりしているのはそのせいもあります。父は帰宅してしばらくテレビを見た後に、自分でベッドに横になりました。
 午後4時過ぎに父は入れ歯をはずしてベッド横に置きました。その時の父は仰向けに寝た状態ですが、その姿勢で口内に残った食べカスを肺に誤嚥下したようです。「むせ込み」が原因、胃の中の食べ物を少し吐きました。私は父を抱え、水でぶくぶくさせ洗面器で受けて、口内をきれいにしました。その後はしばらく横向きの姿勢でベッドに寝かせ、安静・休養してもらい、私は見守をしていました。この日の夕食と服薬はなしの状態でした。
 午後8時ですが、私の目の届かない時に父は自力でトイレに行こうとベッドから立ち上がろうとした際、ベッド横に崩れるように転倒。それにともない便失禁があり動けない状態となり、自分で姿勢を保持することも困難でした。私がお尻を清潔にした後に、体重43kgで脱力状態の父を、後ろから抱えて引きずるように浴室へ移動。シャワーで下洗いの後、父を7分ほど温かい浴槽で入浴させました。
 この時の私の「熱いですか」の問いかけに、父の「ちょうど良い」の返事が、父と私の最後の会話となりました。
 入浴後にイスの上での座位保持が困難、着替えが全面介助。ベッドのシーツも清潔なものに交換して父を横にさせました。この時点で父は口からの吸い込みも弱々しく、「吸い飲み」による水分補給もほとんど不可、自分で「吸い飲み」に手を添えることもできず、身体全体の姿勢が崩れる状態となりました。
 午後10時半にベッドに横たわる父は明らかに異常な低体温となり、救急要請して入院となりました。当直担当医師へ私から父は高齢のため延命治療は望まない、自然治療で願いしますと伝えました。このため万一の場合も人工呼吸はしない治療方針と決め、父は生理食塩水と酸素投与で経過を見守る処置となりました。生理食塩水投与で身体に渇きはなく、電熱器(ホットパック)で直接身体を温めたので、自宅にいるよりも最後は気持ちよく快適で父は幸せだったと今は思います。
 私は29日に2回面会に行きました。父は徐々に身体機能が低下し、翌30日午前0時過ぎ自宅で待機の私へ、病院から危篤状態のため直ぐに来てとの要請。到着してしばらくして当直医師から死亡宣告、父は身近な・近しい家族に見守られて、安らかに亡くなりました。
 このような経過ですので、「床屋に行って、お風呂にも入り、好きな物も食べた」ので父も満足、私もやるべきことはできたと思っています。
 仏法の深い哲理に「在在諸仏土常世師倶生」という言葉があります。これは諸々の場所に常に人生の師匠とともに生まれ、仏法を広めていくとの誓いの言葉、決意です。
 生命は永遠ですので、父はこのたびは滅不滅の死の姿を迎えましたが、大宇宙の生命と一体となった後、また新しい生命力に満たされ、この世に生まれ変わって来るものと確信しています。そして父は最後の日の朝に勤行・唱題でしたように、世界平和と一切衆生の幸福を祈念して、再びまた誓いの同志の方々と一緒に、日蓮仏法の広宣流布の活動に参加するものと思います。
 なお、初七日法要につきましては、明日の告別式のさい繰り上げて行いますので、ご了承いただきたいと思います。
 最後に本日参列の方々にお礼申し上げるとともに、生前の父へのご厚情に感謝申し上げて、ごあいさつとさせていただきます。本日はありがとうございました。

面会、医師リハビリ計画説明2011/11/05
11/4
 午後2時半から医師、看護師、医療ソーシャルワーカーによるリハビリテーション計画の説明のため夫婦で訪問。父はやはり嚥下、トイレが課題。主治医S先生(部長)の説明ではアルツハイマー症状が今回の両側前頭葉脳内出血のため進行、認知レベルが低下との所見。現在食事はとろみをつけたソフト食、トイレは尿意・便意なく時間で促し排泄介助の状態。ここの病院で家庭復帰までのリハビリテーションを行うが、見込みでは家族が同居しないと自宅生活は無理、現在のところでは昼夜、家庭内一部介助、外出は車いすになるだろうとの説明。退院は12月末を予定。セラピストの評価はまだ確定しておらず改めて、説明の機会を設けると言う。
 かなり厳しい現実を突きつけられた形。私からは食事、トイレの自立までのリハを希望。昨年12月の入院時は主治医のH先生(副院長)見込みでは車いす生活、紙おむつ(垂れ流し)の所見だったが、実際は家庭復帰して、食事(一口サイズ)、トイレは自立だった。
 医師が退席した後に、看護師へ本音の話し。父は家庭復帰を望んでいる、本人は充分に生きてやるべきことはやった、あと1~2年生きれば良いが本人の希望、息子の私が同居や紙おむつ交換を本人は(親として)望んでいない、仮に病院で誤嚥下事故が起きても家族としては問題にしない、より積極的なリハビリを希望と伝える。看護師さんからは自分の年齢なら理解できる話しだが、若いセラピストはどうしても安全第一となるとの説明。医療ソーシャルワーカーからはセラピストとの話し合いの日程が決まったら連絡してくれると言う。
 渡されたリハビリテーション総合実施計画書はA4裏表に細かい字で専門用語がびっしり。普通の人には理解できない内容で書かれており、父に渡しても何のことやらの表情。
 私から紙に書いて説明。12月末に退院、年末年始の家族旅行は行かれる、そのために食事とトイレのリハビリを頑張ってくださいと伝える。本日の父の反応は良好、息子の私の名前、妻(嫁)の名前は正解で問題なし、妻(嫁)が顔を出すことで他の家族との混乱が解消したよう。
 認知症の所見は多分にここでのコミュニケーション不良での誤解があるよう、以前の慣れた老人保健施設での入所ではこんなことはなかった。少しずつスタッフの方も父を理解できれば対人関係も改善すると期待。いずれにせよ入院期間が当初の11月末から12月末まで1か月延びたのが現実。カギを握るのは父の家庭復帰への意欲。
 私が帰ると伝えると、父は今度いつ来るかと聞く。本日は金曜日だが、次回は月曜日と伝えると納得したよう。仮にその日に来られなくても、今はこれで安心するので問題はない。

転倒事故で入院2011/09/30
9/16 家事援助、かかりつけ医受診
 時間で父から電話、訪問すると父は食事待ちの二度寝状態。朝食はしらすご飯、から揚げ、ミニハンバーグ、おしんこ、大豆煮、温野菜、ジャガイモ味噌汁。父は昨日、うどんとお菓子を食べた形跡。食事の量も少なめで良いよう。本日はデイサービスの日で荷物のセット、住宅内のスーパーで食材、飲料を補充。9/19敬老の日の昼食は孫と一緒にファミレスで食事と伝える。
 夕方再訪問、常備薬がなくなりそうなので父を車で連れてかかりつけ医受診。特に変わりなしと伝え、1か月分の受薬。本日は代診のため敢えて腰痛の訴えは伝えなかった。1、2か月後に骨、血管の状況の再検査を改めて行うと、この代診医師からの説明。ここへは夕方通院したがやはり込んでいて1時間待ち。父を実家に送り届けて退出。
9/17 家事援助
 私が用事で出かけるため午前6時過ぎに訪問、父を起こしておむつ交換と燃やすごみの搬出促し。父はトイレがゆっくりで時間がかかる。朝食はしらすご飯、おしんこ、シャケムニエル、つくね、佃煮、大豆煮、梅干し、きのこ・ネギたまご汁。洗濯乾燥機を回して時間で取り出しを父に頼み、退出。昼の再訪問なし。
9/18 家事援助
 時間で父の起床の電話なし、午前8時過ぎまで放置して訪問。父は新聞を取り込み、お湯をお茶飲んで二度寝状態。電話がないと来ませんと私が言うと、父は「今日はお食事会」と返事。残念ながら敬老の日は明日。
 朝食はごはん、コロッケ、ゆで卵、おしんこ、カットバナナ、きのこ・ネギ汁。父が昨日取り込んだ乾いた洗濯物を整理して退出。昼の再訪問はなし。
9/19 家事援助
 時間で父から電話、訪問するとお茶を飲んで二度寝。健康維持のためプラごみの搬出を父に促し。朝食はごはん、ミニハンバーグ、手づくりポテトサラダ、白菜おしんこ、梅干しと少な目。
 敬老の日で昼に次女(孫)と一緒に近所のファミレスで会食。父はいつものてんぷらうどん、全部は食べられない。支払いは父、家族におごるのが嬉しいよう。欲しいものはと聞かれて、ココアと返事。ドリンクバアーで父はココアを希望。先日の白菜おしんこと同じで、直前のことに関心があるよう。
9/20 家事援助
 時間で父から電話で訪問。燃やすごみの搬出促し。本日はデイサービスの日だが、私は早めに退出する旨を紙に書いて説明。昨日のヘルパーの記録は特に変わったことなし、最近午後も横にならず起きている様子がわかる。
 朝食はしらすごはん、ゆでえび、つくだ煮、大豆煮、温野菜、梅干し。
9/21 家事援助
 時間で父から電話、訪問するとお茶を飲んで二度寝。昨日セットした炊飯器は父がコンセントを抜いてしまったので、炊けていない。自分ではないというものの、父に現場を見てもらって確認してもらう。台風接近で全ての窓を施錠、実家付近に河川はなく、高台のため水が出る心配はない。
 朝食は父が買っておいた生うどんを使用、ゆで卵・きのこ・野菜入りうどんに変更。副食はシシャモ、温野菜、カットトマト。テーブルに皮のままのバナナを用意。昨日のデイサービスでは特に変わったことはなし。洗濯乾燥機を父に運転させ、時間で取り込みを頼み、退出。
9/22 家事援助
 時間で父から電話、訪問すると父は二度寝状態。乾いた洗濯物の整理。紙ごみの搬出促し。帰りが遅いと思ったら昨日の台風で道路に散乱した葉っぱをかき集めている。しばらくしても戻らないので再度様子を見に行くと疲れたのか花壇の縁に腰かけて立ち上がれない様子。手を引いて起こして連れ戻す。残りは私が片付け。気持ちがあっても父は身体がついていかないよう。
 朝食はごはん、シシャモ、コロッケ、ミニハンバーグ、つくだ煮、おしんこ、カットバナナ、きのこニラ汁。本日はヘルパー訪問日、昼の再訪問なし。
9/23 家事援助
 時間で父から電話、父は起きて待っている。持参した食材の補充、牛乳はいつでも飲めるようにしてある。昨日のヘルパーの記録には特に変わったことはない。朝食はしらす・ごはん、おしんこ、カット魚肉ソーセージ、ゆでたまご、から揚げ、皮をむいたみかん、きのこネギ汁。そして本日はデイサービスの日なので、父を送り出して退出。
9/24 家事援助、父から夜に変な電話
 時間で父から電話、訪問すると父は二度寝状態。父は食事をこぼしたのかズボンの前後にしみ跡で交換促し。昨日のデイサービスは特に変わったことはないが、このところ血圧測定では高め。朝食はしらす・ごはん、おしんこ、手作りギョウザ、手作りパスタサラダ、カットトマト、きのこ・ネギ汁。テーブルにみかんとバナナを用意。洗濯乾燥機を父に操作させ、終了したら取り込みを頼んで退出。
 私は午後から外出していたが自宅の留守電を聞くと、父から午後6時に「おはよう」、午後8時に「今日は来ないのか」の電話。父はいつも腕時計をしているが、ベッドに横になる生活で勘違いしたよう。昼夜とっち替えは、これが二度目。 
9/25 家事援助
 時間で父から電話、訪問すると父はトイレに入るところ。本日は燃やすごみの日、搬出促し。昨日のデイサービスの記載では特に変わったことなし。だだ、このところ血圧が高め、涼しくなったせいかも。掛け布団を毛布から冬布団に変更。毛布は洗濯乾燥機を運転し、父に時間で取り出しの依頼。
 朝食はしらす・おしんこごはん、ミニハンバーグ、コロッケ、手作りパスタサラダ、カットトマト、ジャガイモみそ汁。
9/26  家事援助
 父からやや遅れて起床の電話、訪問すると何もせず二度寝。洗濯物は取り込み済みのため私が整理。本日プラごみの日で搬出促し。
 朝食はしらす・おしんこごはん、手作りイワシフライ、手作りポテトサラダ、佃煮、おしんこ、梅干し、カットバナナ、ネギ・ニラ・たまご汁。本日はヘルパー訪問の日。本日私は朝から用事ですぐに退出。
9/27 家事援助、水道栓工事立ち会い
 時間で父から電話、訪問すると布団の中。ヘッドフォンで聴いているラジオの電源コードを抜くとしばらくして起きたので、寒いため布団の中にもぐりこんだよう。今日から上着2枚に変更。燃やすごみの搬出促し、回覧板と一緒に父は外へ。昨日のヘルパーの記録には父が自分でできるようになっているとの記録。
 朝食はしらす・おしんこごはん、シシャモ、手作りポテトサラダ、ゆでたまご、つくだ煮、きのこニラ汁。本日はデイサービスの日、父を送り出し。入れ替わりに前から依頼してあったリフォーム業者が来所。父は握力が低下、洗面台の水湯2個回転式混合栓が充分に止められず、漏水状態。上下式1つの混合栓に更新。1時間ほどの工事に立ち会いをして退出。
9/28 家事援助
 時間で父から電話、訪問すると布団の中は変わらず。昨日のデイサービスの記録には特に変わったことはなし。洗面台の混合栓が台所と同じ物に変わったが特に気が付いた様子もなく使っている。それよりも朝食の仕度に関心があるよう。関係性の概念がかなり失われ、自分とごく身近な周囲のことしか関心がないよう。父は食事をすればベッドに横になりラジオを聴くだけの生活ではある。ペットボトルごみ搬出と洗濯乾燥機の運転を父に促し。
 朝食はしらすごはん、シャケフレーク、つくね、佃煮、おしんこ、梅干し、カットバナナ、ネギミョウガ汁。すぐに退出。

家事援助、転倒事故で入院、病院から呼出
9/29
 時間で父から電話、訪問するとやはり二度寝状態。紙ごみの搬出促し。朝食はしらす・ごはん、おしんこ、ゆで卵、つくね、ラッキョウ、カットトマト、ジャガイモみそ汁。飲物はいつもの通り牛乳で、お茶は自分で入れてもらう。父は昨日ケアマネMさんが来たと言う。翌月のサービス計画書の承認(押印)の用事のよう。本日はヘルパー訪問日で私は退室。
 自宅でのんびりしていたら実家の近所のOさんから電話、父が転倒負傷、救急車を呼んだとの内容。車で実家に向かい保険証、常備薬、現金を持って救急車の現場へ。車で5分の距離なのでこういうときは即対応可。
 救急車で前回入院した地域中核病院のN病院へ。父は会話ができるものの転倒時の状況は混乱して説明できない。後からOさんに確認すると、午前11時半に住宅内のスーパーで買物をして、帰宅途中にスーパー横のやや上り坂で転倒し仰向けに強く頭を打ったよう。杖をつき、反対側の手に買物袋、カフェオレ大箱、インスタント吸い物のほか3食入り生うどんでやや重たい。摺り足の父はバランスを失ったのが原因。もともとお気に入りのステックココアを切らして買いに行ったもので、勘違いの上、かなり重たい3食分のうどんも無理をして購入。気持ちはあるが身体が以前のようには動かない。
 後頭部に3センチの傷と鬱血でとりあえず入院指示。CTとレントゲンの検査へ。病室のやりくりの都合でようやく午後2時半に6人部屋へ移動。父はリンゲル投与と紙おむつ状態。特に痛いとの訴え以外に大きな容体の変化はなく、転倒ショックによる意識障害なのか私のことが分かるかと聞くと、右手を横に振る(分からない)との反応。気になったものの、いったん私は3時半過ぎに帰宅して、本日のヘルパー訪問と明日のデイサービスはキャンセルの電話。
 帰宅して入院同意書の作成をしていると午後5時過ぎに病院から電話、妻が対応。おう吐とけいれんがあるのでできれば家族が来て欲しい、部屋も特別個室に移動との内容。夫婦で病院に向かうと、父は食べたものをおう吐して誤嚥下で吸引処置、酸素投与の状態。気道を確保するため頭を低くした姿勢。けいれんは薬でおさまったよう。父は酸素マスクが気になるのか、手ではずそうとするので、両手拘束を私から依頼。モニターでみると心拍、呼吸、血圧とも安定しているが、呼吸が苦しそうで、眼を閉じたまま。それでも1時間半ほど夫婦2人で様子を見ていると、眼をしっかり開き、話しかけに、ああ、ああと返事するまでに回復。本日は主治医の病状説明なく、明日午前9時20分にCT再検査、午後2時半に主治医病状説明と聞き、午後7時半に病院を出て、夫婦で近くのファミレスで夕食を済ませ帰宅、やれやれ。
9/30 家事援助、主治医病状説明、1か月超の入院見込み
 午前中に新聞取り込み、夕食弁当容器出しのため夫婦で実家へ。父(舅)が退院したときに私たち夫婦が泊りがけで介護するためには、部屋の掃除が必要。妻は2階の敷物は不要なのですべて廃棄と言う、幸い明日は燃やすごみの日で私がしばって玄関先に片付け。妻は掃除機かけとフトン干し。実家に戻るとケアマネMさんから電話、昨日の転倒事故は自分が休みのためヘルパーから本日聞いた、28日に訪問したときはずいぶん元気になったとの印象だったと言う。私は本日午後2時半に脳神経外科主治医から病状説明があり、結果をMさんへ連絡すると約束。
 午後2時過ぎに夫婦で病院訪問。父は右鼻にチューブ、口に酸素投与の状態。声かけにはしっかりと返事。時間で脳神経外科主治医(部長)S先生より病状説明。後頭部を強打したため、前頭部左に2cm、右に0.5cmの出血。昨日けいれんがあったので抗けいれん薬投与。現在急変期のためはっはりとは言えないが少なくても10月いっぱいの入院が必要との説明。家庭復帰しても抗けいれん薬服薬の可能性がある、現在脳外科の緊急手術は不要とも。私からは高齢者なので寝たきりにならないよう早めのリハビリをお願いする。
 単なる打撲で済むと思っていた私たちはショック。本人の自由な生活を優先させていたが、これからは一人で買物は禁止するしかない。私は自分でやるように敢えて促していたので、気が重い。最近では室内での転倒事故2回を含めこれで6回目、うち3回が救急車搬送。私が在宅介護を始めた7月以降では初めて。住宅内でこけたのは1回目撃していた。
 ケアマネ、デイサービス施設、ヘルパー事業所、夕食宅配業者にサービス中断の連絡。自宅の新聞止めと心配して留守電のあった担当の民生委員へ入院の報告。

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