介護記録111230-父が死亡-

画像12/29 病院訪問
 昨夜は少しアルコールを飲み就寝、それでも緊張からか明け方に目が覚めた。出勤する次女にはK病院に入院と伝え、妻には経過を説明、万一のことを確認しあう。私は昼過ぎ、用事のある妻は夕方に病院を訪問することに。
 本日訪問予定のヘルパーのキャンセルを事業所に通知。1月からの夕食宅配と新聞購読もキャンセルへ。妻は正月の墓参・家族一泊旅行のキャンセル、15000円ほどのキャンセル料と聞く。正午過ぎに病院の担当男性看護師のOさんから電話、父の容体は危篤ではないものの悪化している、面会時に主治医H先生(救急部長)の病状説明があるとのこと。午後1時過ぎに入院手続き、面会に行くと伝える。
 時間に病院訪問、窓口で入院手続き。支払保証書、個室同意書等のほか5万円の予納金納付。病棟では来意を告げ、アメニティセット申込のほか、現在服薬中の薬説明書、先日退院した病院のリハビリ計画書最終版を提出。
 父はリンゲルと酸素投与、バルーンカテーテル装着、簡易(送信式)モニター装着で、安らかに息をしている状態。苦しそうな様子ではないのでなにより。
 担当看護師のOさんと病室であいさつ。その後まもなくH医師と女性看護師が来所、H先生より立ったままで簡単に「状態は悪化の方向、持って今日か明日の状態」との説明。看護師からは「会わせたい人がいれば連絡を」との言葉。私からは母(妻)も3年前に死亡、親戚もみな亡くなったか高齢と伝え、「昨日は床屋に行き、入浴もして、食べたいものも食べた、悔いはない」と説明。しばらく病室で父の頭をなでながら、父の耳元でもう頑張らなくて良いと繰り返し伝える。
 息子の私としては結婚してからあまり父と会話する機会はなかった。正直に言えば、好きでも嫌いでもない。ただ、幼い頃銭湯で父が片手で私の両耳を強く押さえ仰向けに頭をごしごし洗った記憶が、痛かったこととして鮮明に残る。その父としばし病床で会話にならない心の中での会話。もうすぐ妻が到着予定でいったん私は帰宅。父が退院するときのために必要と入院時に持参したものの、持ち主がなさそうな靴と上着を片付けるのが辛い。
 妻とは自宅マンション1階ですれ違い、簡単に様子を伝える。自宅で休憩していると午後4時過ぎに妻から電話、父が「寝ているだけでいいのか」と言う。簡易(送信式)モニターによりナースステーションで心電図、血圧、呼吸を確認しているので問題ないと伝える。妻も父(舅)が安らかに寝ていると言う。リンゲルで身体の渇きはなく、ホットパックで寒くない状態は幸せかも。
 夕食を済ませて午後6時過ぎに再面会。父は体温が回復、顔に生気が。ちょうど主治医のH先生が病室巡回、体温回復して父の表情が穏やかで嬉しいと言うと、ただうなずかれた。一進一退の小康状態のよう。看護師が尿バック交換、6時間でこれだけとビーカーの中味を見せてくれる。確かに3cc程度と少ない。身体の循環が回っていない状態。ここの病院は規模がやや小さく、そのせいかスタッフがフレンドリーで好印象。父は先ほどより大きく息をしているが、見方によって吸気不足で酸素マスクの酸素を要求しているよう。
 規程の面会時間は午後7時で終了。面会札を返し、看護師に何かあったら車でこられるよう私は自宅で待機と伝えて帰宅 。

12/30 病院から呼出、父が死亡
 午前0時過ぎに病院から呼出しの電話、父が危篤ですぐに来て欲しいとの内容。私はすでに就寝していたが電話の音で起きて対応、病院には仕度をして30分以内に到着予定と伝える。妻も帰宅していたが同居の次女(孫)はまだ。妻と一緒にマイカーで病院に向かう。車中で妻が次女に携帯で電話、やっとつながり近くにいるので病院に直行できると聞く。
 到着すると父は既に呼吸が止まった状態。すぐに当直医が来て、瞳孔と心音を確認して、午前0時31分に死亡宣告。私と妻、当直看護師が立ち会い。父は身体がまだ温かく、今にも起きそうな安らかな死だった、息をしていないのが不思議との印象。少し遅れて到着した次女は泣きじゃくる。2人目の子どもが出産間近の長女には敢えて連絡を控えた。ひとつの命が終わるとき新たな別の命の誕生への不思議な巡り合わせ。
 当直看護師から病衣から浴衣に着替えるのに30分かかるが、葬儀社にご遺体引き取りの到着時間を確認してと依頼される。私は亡母の時も利用した葬儀社に連絡、車は1時間以内に到着と言われ、その旨当直看護師に伝える。病室で器具をはずされた父は次第に冷たくなっていくが、穏やかな死に顔のようで私も悔いはない。
 看護師から渡された死亡診断書には直接死因は敗血症性ショック、死亡原因は誤嚥性肺炎(不詳)と記載されていた。心肺機能が低下し身体の循環が回らなくなっての全般的衰弱で、緩やかに経過する死亡だったよう。入院から死亡まで病院では実質24時間ほどしかなく、父も覚悟の死だったよう。
 葬儀社のご遺体移送車が到着、キャスターにご遺体を移乗、病院裏口から車へ搬入。葬儀社のスタッフに死亡診断書を渡し、車の出発を見送り。当直看護師も最後まで立ち会い、医療費精算も落ち着いてからで良いと言われ、やや年輩の女性でやさしそうな物腰。ご遺体は病院近くの葬儀場に搬送・保管で、家族は同行不要。明日その葬儀場からの連絡を待って打合せする手はずとなった。3人で話し合って年末年始のため、家族とごく親しい親族・友人中心の通夜、告別式で済ませる方向へ。

12/30 葬儀場打合せ
 私は昨夜は緊張しているせいか寝られなかった。早朝に実家へ行き、当面処理する書類をチェック、年末最後の燃やすごみを搬出して帰宅。
 午前8時過ぎに葬儀場の担当から電話、午前9時半からの打合せで夫婦で向かう。疲れた私が事故でも起こすと困るのでバス利用。同居の次女は午後1時に亡父にお参りすると言う。
 父と遺体安置室で対面、題目三遍と焼香。入れ歯のないお顔を葬儀社が処置してあり、より穏やかな表情。動かないものの、見飽きない表情との印象。
 スタッフ打合せでは葬儀日取りをどうするかで悩んだ。3日の火葬も可能とのこと。弔問者に正月早々で申し分けないと思う反面、ずっと遺体安置所に父を安置では寂しいだろうとの思い。結局、3日通夜、4日告別式・出棺、火葬の日程と決定した。葬儀のグレードは基本的に母と同じ内容に。幸い3年前に亡くなった母と同じ葬儀場で、母の資料も残っていて、担当者も同じ方。特に問題もなく打合せ終了。葬儀費用は後払いだが、当座の費用として私が管理している父の口座からカードで現金を引出。
 ここの葬儀場は駅から近く便利。駅ビル内のお店で早めの昼食をしながら、参加予定者の確認。その後、妻は孫の保育支援、私は自宅に戻って訃報作成と親戚等への連絡。人数が多くないのでそれほど大変ではない。通夜は家族、親族のみとしたので、いわゆる通夜ふるまいの飲食で余計な気を使わなくても済みそう。
 父は長く地元の町内会で役員をやっていた。そのため知った民生委員の方を通じて、掲示板に訃報張り出しを依頼。ここの町内会はバス停からやや遠いこともあって、遺族が地元からマイクロバスを出す慣習があるとのこと。父はひとり暮らし、一人っ子の私も別居で対応できない事情を説明。葬儀は基本的に家族葬、お香典辞退、告別式のみお気持ちのある方でとお願いした。しかし地元としても最低限でも自治会役員、敬老会役員は会として弔問をせざるを得ない事情は推察できる。
 今回も私が息子として導師、そして喪主。挨拶文等の作成をしていたら、やはり疲れが出た。あり合わせのもので夕食。しばらくすると娘(次女)と妻が前後して帰宅。妻からは2人目を出産予定の長女が、父の私が許せば大事をとって葬儀を欠席したいと聞く、もちろんOK。亡父も遺族が明るく元気に生活するのを望んでいるはず。明日、孫を連れて私の家に来た時に、時間をあわせてご遺体と対面すればよい。
 同居の次女は時間いっぱいの30分お参りした、会社は1/6まで忌引き休暇取得、5日、6日は実家の片付けを手伝えると言う。

"介護記録111230-父が死亡-" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント