介護記録120103-通夜弔辞-

通夜(平成24年1月3日午後5時~)

 それでは、導師として一言ご挨拶をさせていただきます。
 ただいまは、私の父の通夜にあたり、故人の遺志により息子の私が導師を努め、創価学会の友人葬の儀式にのっとり、釈尊の説いた法華経方便品、寿量品自我偈を読誦し、ご本仏日蓮大聖人が広めた南無妙法蓮華経の題目を唱え、故人の追善供養を懇ろに行いました。
 ご案内のとおり、法華経は釈尊が説いた経典の中で最も優れたものであり、一切衆生に仏性があると教えています。しかしながら釈迦仏法では釈尊自身が、何によって成仏したのかという根源の法自体は明かにしていません。
 末法に出現したご本仏である日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の題目こそが成仏の根本法であると示されています。このため創価学会では題目を正行、法華経読誦を助行として朝晩、勤行・唱題を行い、自身の人間革命と宿命転換、故人の追善供養、世界平和と一切衆生の幸福を祈念しております。
 
 また、ご案内のように釈尊自身は自らの葬儀について、僧侶は布教に専念すべきとの趣旨で在家の集団に任せ、自身の葬儀を執り行わせています。父は生前、親戚知人も高齢であることから、ご負担をかけさせたくないとの趣旨で、万一の場合は亡き妻と同じような形式で、息子の私が導師となりごく親しい親戚・友人のみによる、友人葬、家族葬で行って欲しいと申しておりました。
 このため本日の、通夜の葬儀には仏法の本義に立ち返り僧侶ではなく、また面識のない方の導師ではなく、父の最後を看取った者として、息子の私が導師を努めるのが自然で、最後の親孝行であると考え、このような形式をとりましたことを、ご報告いたします。

 次に生前の父の人となり、暮らしぶりをお話しいたします。
 父は、大正8年にA県B郡C町で生まれ、父は今で言うと小学校を卒業した13歳の時からずっと健康で働いて来ました。当時は食べるため、生きるためにそうするのが当たり前だったと言います。元々は旋盤工でしたが、定年後も知人の会社などに再就職して75歳くらいまで現役で働いていました。働くのが好きだったようです。
 また、父は人から頼まれると断れないタイプで80歳過ぎまで地域役員、役所ボランティアをやっていて、活発に活動をして、よく外出していました。母が認知症(要介護2)となり家事一切ができなくなって父は5年間、母を介護しつつ、食事、買物などの一切の家事を行ってきました。
 父と母は60年以上連れ添った夫婦でした。平成21年4月に母が亡くなってから、父は急速に気力体力が衰えたようです。
 父はひとり暮らしになった時に、あと2~3年生きれば良いと私に言ったことがあります。振り返るとその通りの結果となっています。また、父は息子の私に自分の終末介護の世話をさせたくない、嫌だと言っていました。高齢の父はすり足による転倒事故で何回か入退院をしています。父が家庭復帰した時に、私が通いで食事の支度などの家事援助したのは前回(9月)の3か月と今回(12月)の3日のみでした。私が父の家事援助をしたのは、父が認知症の母を5年間、献身的に介護したことに対する息子としての当然の礼儀であろうと思ったからでした。
 父の死亡は心肺機能が弱まり、身体の循環系統が回らなくなって全般的衰弱から緩やかに経過する死亡だったようです。入院から死亡まで24時間ほどでした。穏やかで安らかなお顔に接して、父がなぜ息をしていないのか不思議、というのが臨終の際の私の第一印象でした。
 12月30日午前0時31分に父は死亡しましたが、直接死因は敗血症性ショック、死亡原因は誤嚥性肺炎で、細かいことは不詳と死亡診断書には記載されています。

 容体急変から亡くなるまで経過を時間を追ってお話しいたします。
 父は12月28日朝食後に、いつも通りに勤行・唱題を行いました。昼食は普通食のごはんに刻んだウナギをのせたどんぶりで、父の大好物のウナ丼を食べています。刻み食にしたのは父の嚥下機能が低下しているためです。
 午後2時に父が行きたいと言った近所の床屋へ息子の私が車いす介助で向かいました。臨終のお顔がさっぱりしているのはそのせいもあります。父は帰宅してしばらくテレビを見た後に、自分でベッドに横になりました。
 午後4時過ぎに父は入れ歯をはずしてベッド横に置きました。その時の父は仰向けに寝た状態ですが、その姿勢で口内に残った食べカスを肺に誤嚥下したようです。むせ込みから胃の中の食べ物を少し吐きました。私は父を抱え水でぶくぶくさせ洗面器で受けて、口内をきれいにいたしました。その後はしばらく横向きの姿勢でベッドに寝かせ休養してもらい、私は見守をしていました。この日の夕食と服薬はなしの状態でした。
 午後8時ですが、私の目の届かない時に父は自力でトイレに行こうとベッドから立ち上がろうとした際にベッド横に崩れるように転倒。それにともない便失禁があり動けない状態で、自分で姿勢を保持することも困難でした。私がお尻を清潔にした後に、43kgで脱力状態の父を後ろから抱えて引きずるように浴室へ移動。シャワーで下洗いの後、父を7分ほど浴槽で入浴させました。
 この時の私の「熱いですか」の問いかけに、父の「ちょうど良い」の返事が、父と私の最後の会話となりました。
 入浴後の着替えも全面介助。ベッドのシーツも清潔なものに交換して父を横にさせました。この時点で父は口からの吸い込みも弱々しく、「吸い飲み」による水分補給もほとんど不可、自分で「吸い飲み」に手を添えることもできず、身体全体の姿勢が崩れる状態でした。
 午後10時半にベッドに横たわる父は明らかに異常な低体温となり、救急要請して入院となりました。担当医師には私から父は高齢のため延命治療は望まない、自然治療で願いしますと伝えました。このため万一の場合も人工呼吸はしない治療方針と決め、父は生理食塩水と酸素投与で経過を見守る処置となりました。生理食塩水投与で身体に渇きはなく、電熱器(ホットパック)で直接身体を温めたので、自宅にいるよりも最後は気持ちよく快適で父は幸せだったと思います。
 私は29日に2回面会に行きました。父は徐々に身体機能が低下し、翌30日午前0時過ぎ自宅で待機の私へ、病院から危篤状態のため直ぐに来てとの要請。到着してしばらくして当直医師から死亡宣告、父は身近な家族に見守られて安らかに亡くなりました。
 このような経過ですので、「床屋に行って、お風呂にも入り、好きな物も食べた」ので父も満足、私もやるべきことはできたと思っています。
 
 仏法の深い哲理に「在在諸仏土常世師倶生」という言葉があります。これは諸々の場所に常に人生の師匠とともに生まれ、仏法を広めていくとの誓いの言葉です。
 生命は永遠ですので、父はこのたびは滅不滅の死の姿を迎えましたが、大宇宙の生命と一体となった後、また新しい生命力に満たされ、この世に生まれ変わって来るものと確信しています。そして父は最後の日の朝に勤行・唱題でしたように、世界平和と一切衆生の幸福を祈念して、再びまた同志の方々と一緒に、仏法の広宣流布の活動に参加するものと思います。

 なお、初七日法要につきましては、明日の告別式のさい繰り上げて行いますので、ご了承いただきたいと思います。

 最後に本日参列の方々にお礼申し上げるとともに、生前の父へのご厚情に感謝申し上げて、ごあいさつとさせていただきます。本日はありがとうございました。

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